そして高知から東京へ、そして東京から…
5日間で三十箇寺。宿坊にも泊まり、朝もお勤めをし、怒涛のように過ごしました。ひたすら納経所へ走っていたので、ほとんどお参りができていません。いつか自分で回ってみたい…いつかっていってるあたり、まだまだ見通しは遠そうです。...
30, 2015 0
Category 四国巡礼
木々に守られるような(もはや侵入者を拒むような)
この難関を「修業」といいます。添乗と同行にとっても苦行です。いやあれだ、なぜこんなところに建てたんだ。...
28, 2015 0
Category 四国巡礼
「男もすなる日記というものを」
第29番札所「国分寺」。平安時代の歌人(でいいのか…?)紀貫之が、国司として4年間赴任した土佐の国。貫之は、この土佐の地で娘を亡くしているそうです。外人さんのお遍路さんも多く見ました。...
26, 2015 0
Category 四国巡礼
そこにいらしたのでしょうか。
弘法大師がこの洞窟で修業中、空と海に感じ、「空海」と名乗るに至ったという「御厨人屈」。カメラをいじってはいないのですが、この近辺を撮影した写真が白黒になっていました。光の効果か、それとも…。...
22, 2015 0
Category 四国巡礼